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最近、このブログを見てくれる人も
増えてきて、なんか更新するのも
うれしい、この頃です。

そんなことで、今日は改めて私の自己紹介を書いてみたいと思います。

私の名前はコヤマアキヒサといいます。
ハンドルネームはサニマン。
家での呼び名はデッテです。
宮古島の西原という土地の出身の母親と栃木県氏家出身の父親の間に1983年の子供の日に宮古島で生を受けました。

思い返してみると私は小さい頃から宮古島が大好きでした。
母親は里帰り出産だったので、産まれてすぐに那覇に帰り那覇で育ちましたが、
お正月などは宮古島に帰ったりしていて、幼心に宮古島に行くのがすごい楽しみだったのを覚えています。
オジィオバぁも大好きだったし、
小さい頃は、なんで宮古島で暮らさないんだろうと不思議に思っていたぐらいです。

今でもそうなのですが、宮古島にいるとすごく落ち着く自分がいるんです。
これは言葉では説明できない特別な感覚だと思います。

母親に言わせると赤ちゃん頃の私は、ほんとにほぼ泣いている子供だったようです。

今考えると、それは那覇じゃなくて宮古島に行きたいという私の思いが涙ばっかり流させていたんじゃないかなぁなんて思ったりしています。

そんなこんなで那覇で高校卒業まで暮らし、卒業後もフリーターをして暮らしていたのですが、19の冬に宮古島のオジィが体調を崩して、サトウキビの収穫作業が難しいという事情によって、私は宮古島に3ヶ月に暮らすことになりました。

それから、宮古島で毎日キビを倒しました。オジィはその年の6月に神様になったのだけれど、そんな体を押して、一緒にキビ倒しをしていました。休めといってもいっこうに休みませんでした。
オバぁも当時80だったので、もちろん体調は万全ではありません。そんな中、2人は、1日も休まず仕事を続けるんです。それまで、高校の頃もバイトして、そのままフリーターをやりながら、そのお金で適当に遊びながら暮らしていた自分に、その姿とその空気は、全く異質の世界でした。

そして、何よりもそんな万全ではない2人よりも何もできない自分が情けなくて、最初の頃は毎日キビに涙をかけながら私は作業をしていました。
本当にキビを倒している途中に、斧を持つ手が動かなくなるんです。もうこの手は2度と動かないんじゃないかとさえ思いました。それぐらい最初の頃は何もできなくて、そんな自分に腹が立ちました。

そんな中で宮古島で3ヶ月過ごして、
私は確実に成長できました。
オジィとオバぁに心を鍛えてもらったと思っています。
仕事の休憩の時間に畑に腰をおろして、
宮古島の風をうけながら、
丘からの広がる畑の景色を眺めながら
ふいに、
「私はこんなにも愛されていたんだ。」
そう思い、涙が止まりませんでした。

そして、同時に私は宮古島から出ないといけない。そう思ったのを覚えています。その時何故そう思ったのかはよくわかりませんでしたが、今考えてみると、もっと外の世界で成長して、宮古島に帰ってきたい。そんな風に思ったような気がします。

そして、それから10年あまり宮古島の外の世界で過ごし、あの頃の思いを胸に宮古島に帰ってきました。

私は愛されている。そんなシンプルなことを教えてくれた宮古島。ただそのことが自分が前へ進むための原動力になりました。

私は愛されている。

それがこれからも私が宮古島で前へ進むための原動力。

そんなこんなで、自己紹介になったでしょうか?

宮古島を離れてからのことは、このブログでもちょこちょこ書いていますし、これからも思いつくことは書いていけたらなと思っています。

そんな感じで自己紹介?でした。