私が抱いていた教育に対する違和感。
この方のプレゼンを聞いて改めて思ったことを雑記。
私はずっと学校教育に違和感、むしろ嫌悪感すら抱いていた。
こんな勉強をして、大人になって何になるんだろう?って。
でもその答えを言えるまでの自分ではなくて、
周りに流されてみたり、自分の世界に入ってみたりみたいな。
授業なんて退屈だし、外で遊びたい。自分の好きなことをとことんしたい。
それが当時の私の本心だったと思う。
学校の勉強なんて、点数をとるためのもの。それを判断基準にして社会の枠にはめていくもの。
ケビンさんもいってるように今の学校教育はただ一握りの大学教授を生み出すためのものだと。
人間本来の多様性がそこにはないんですね。
私も中学に入って、より勉強が楽しくなくなって授業を聞くことを放棄した。
ノート、教科書は落書きだらけ。それ見つかって怒られて(笑)
当たり前のように席次は後ろから数えたほうが早い生徒になっていた。
自分でそれでいいと選んだんだけど、やっぱりあせってしまった。
それで塾に入った。塾では塾の先生が学校のテストを分析して
点数のとれるパターンを教えていた。点数を取るための勉強だ。
毎日毎日そのパターンを繰り返して身に着けた。
そして見事、席次は前から数えて近いほうになった。
でもその結果、私は後頭部に十円ハゲができた。14歳の春だ。
それでわかった。点数をとるための勉強は自分には無理だと。
身体が拒否反応をしめしているのだから。それはどうにも否定できない。
そこからは塾をやめて(親も十円ハゲを見て辞めろと言ってくれた)、
部活も含めて遊びに遊んだ。(というか部活も遊びの延長みたいになってたw)
とにかく暇をもてあましていたが、とにかく勉強はしなかった。
釣りをしたり、自然の中で虫やトカゲなんかを捕獲しまくった。
その時の私は確実に生きていた。
点数のために勉強していた時の自分は確実に死んでいた。
これでいいんだな。そう思いながら遊んでいたような気もする。
幸い、これでいいんだなと思わせてくれる仲間たちにも恵まれて・・・。
そんな、私も今こうやってなんとか一応、大人として社会を生きている。
子供には個性がある。多様性がある。創造性がある。
それを才能というのかな?
それは勉強の点数では決められない。
そんな才能を最大限育ててあげる土壌を作ること。
とにかく子供にはあきるまでとことん遊んでほしい。
枠にはめたらいかん。パターンにはめたらいかん。
みんなちがってみんないいのだから。
そんなことをあらためて思った、ケン・ロビンソンさんのプレゼンでした。